縄文時代の人々の暮らしを知る、味わう旅へ
縄文時代の人々の暮らしを
知る、味わう旅へ
世界文化遺産となった「北海道・北東北の縄文遺跡群」の遺跡を中心に、道南地方の縄文文化に関連するスポットを訪ね歩きます。いろいろな遺跡から発掘された品々をみていると、私たちと同じものを食べていたり、現代でも人気がでそうな美しく繊細な装飾品があったり、新鮮な発見がたくさんあります。縄文の人々の暮らしや文化に思いを馳せてみませんか。
旅の前の予備知識
祝!世界文化遺産登録
2021年7月、「北海道・北東北の縄文遺跡群」がユネスコの世界文化遺産に登録されました。この遺跡群のうち北海道にある遺跡は、函館市の垣ノ島遺跡と大船遺跡、伊達市の北黄金貝塚、洞爺湖町の入江貝塚と高砂貝塚、千歳市のキウス周堤墓群の6つです。そして森町の鷲ノ木遺跡(関連資産)があります。もちろん、北海道にはほかにも多くの縄文遺跡がみつかっています(詳しくは、「縄文文化と北の遺跡」をご覧ください)。
縄文文化は北海道から沖縄本島まで日本列島全体に広がっていました。しかし、それは画一的なものではなく、7〜8の地域文化圏に分かれていたことがわかっています。今も各地に独特の文化があるのと同じように、縄文時代も土器の形や紋様に違いがあったのです。そして、津軽海峡をはさむ北海道南西部と東北地方は一つの大きな文化圏を形成していました。
縄文文化とは
紀元前1万3,000年前〜約400年前ころの期間を日本の歴史区分で「縄文時代」と呼びます。世界と比べてみると、中国東北部やロシア極東では旧石器時代から新石器時代、青銅器時代の一部まで、ヨーロッパでは旧石器時代から鉄器時代、古代ローマ帝国の成立までといった実に幅広い時代に相当します。名前となった「縄文」は、このころの土器の多くに縄目の紋様があるためです。縄文文化の最大の特徴は、1万年以上もの長い間、 自然と共生しながら定住生活を実現した点にあるといわれています。
縄文時代は旧石器時代の氷河期が終わり、急激に温暖化が進んだころに始まりました。日本列島はドングリやクリ、クルミが実る落葉広葉樹の森が広がり、魚介類に恵まれた環境が形成され、豊かな自然が育まれました。人々は新たに土器をつくるようになり、土器は食べ物の調理や貯蔵に使われ、食生活に大きな安定をもたらしたと考えられます。
また、遠くから動物をしとめる弓矢や、魚介をとる釣り針や銛(もり)など、さまざまな道具も考案。人々は主に採集・漁労・狩猟によって暮らしを営み、かつての移動生活から定住生活へと変化していきました。やがて、拠点となる集落(ムラ)が出現します。集落には住居やお墓ができ、食料の貯蔵施設、貝塚、特別な儀式を行う祭祀(さいし)場などもできました。
集落の周りには、防御用の柵などがなく、温和で協調的な社会が築かれていたと考えられています。また、海や山を越えた交流が盛んで、ヒスイや黒曜石などが遠方まで運ばれました。各地で漆器やさまざまな装身具、祭祀に使われる土偶などもつくられ、当時の人々が豊かな精神世界をもっていたことがわかります。
旅のプラン
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