月と桃の花
西村計雄記念美術館
駅でレンタカーを借りて出発!
共和町の丘の上にある美術館。共和町出身の画家・西村計雄の作品を集めて展示しています。美術館から見える、ニセコのきれいな山々や広々とした畑の景色もじまんです。また、学校ではなかなか使わない材料で工作ができるワークショップを行ったり、美術館の中にかくされている小人をさがすゲームなど、アートで楽しむプログラムをたくさん用意しています。
1909(明治42)年、共和町小沢(旧小澤村)の、駅で売るおべんとうやお菓子を作る家に生まれました。子どものころ木田金次郎に絵を習い、東京美術学校(今の東京藝術大学)で勉強し、画家として有名になります。しかし、もっと新しい絵に挑戦したいと考え、42歳のときフランスのパリへわたりました。パリは“芸術の都”といわれ、多くの画家にとってあこがれの地でした。ここで、ピカソを一流の画家に育てた画商*・カーンワイラーと出会います。そして、和菓子のようにやわらかな色づかいや、たおやかな線が特ちょうの西村の作品は「西洋と東洋の美しさがとけあっている」と高く評価されました。
*画商 自分が注目する画家から作品を買い、販売する人
西村さんの絵は、油絵の具を使っていますが、かきかたはとてもユニークです。うすめた絵の具を使い、「にじみ」や「ぼかし」という古くからある日本画のテクニックを取り入れたり、型紙を使って花びらをたくさんかいたり、筆を使わず指でかいたり、いろいろなかきかたをためしています。
そうやってかいた西村さんの絵は、明るくてリズミカル。そして、光や風など目に見えないものを表現しています。西村さんは「これはこういうものをかいた」とあまり説明していません。「自分が思ったように、自由に絵を見ていい」と言っていました。
みなさんには、なにが見えるでしょうか?
なかには、絵の中にかくすように名前のサインを入れた作品もあります。ぜひ、じっくり見て探してみてくださいね。
ランチには、岩内が発祥といわれる、塩ラーメンの上にエビの天ぷらがのったご当地グルメを。あるようでなかったくみあわせは、思ったよりあっさり風味。町内のお店で味わえます。
木田金次郎は、生がい岩内町でくらし、岩内の自然や生活の風景をかいた画家です。金次郎のことを多くの人に知ってほしいと、まちの人たちが力をあわせて美術館を作りました。作品を見るだけでなく、なやみや困難をのりこえて画家になった、金次郎の生きかたがわかります。金次郎がかいた山や海などの景色は、今もあまり変わっていないところもあります。絵を見たあと、まちを歩いてみるのがおすすめです。
1893(明治26)年、岩内町の漁師の家に生まれました。絵が大好きで、たくさんの画家がいる東京に行き、旧制中学(今の高校)に進学します。しかし、家の漁師の仕事を手伝うため、岩内に帰らなければなりませんでした。漁師になっても、絵をかくことをあきらめられなかった金次郎は、小説家の有島武郎と出会います。絵にもくわしかった有島に、「東京に行って絵をかきたい」というなやみを相談すると、「岩内にいるからこそ、かける絵がある」とはげまされました。有島の言葉で、岩内で画家になることを決意。漁師をやめ、自分ひとりで絵の勉強をして画家になりました。そして生がい、岩内で大好きな絵をかき続けました。
「夏の岩内港」は、最初、なにがかいてあるのかわからないかもしれませんが、ちょっとはなれて見てください。すると、たくさんの船や波が見えてきませんか? 港にふいている風や波の音、海のにおい、カモメの声も聞こえてきそうです。よく見ると、いろいろな色の線が重なりあってかかれているのがわかります。ポイントは、色をたいらにぬるのではなく線にしていること。線で動きを出し、にぎやかさを表現しています。そして、景色の中にあるいろいろな色や、音やにおいもかいていると考えられます。 「春のモイワ」も同じ方法でかかれた作品です。この岩は今も残っているので、金次郎さんが見ていた、絵の中の景色をぜひ探してみてください。
岩内町と蘭越町の境界にある、雷電海岸は、日本海のあら波が作り出した断崖絶壁や奇岩*が続くところ。なかでも「弁慶の刀掛岩」は、源義経が休憩したときに刀をかけた、という伝説があります。
近くには、木田金次郎をモデルにした小説を記念して、有島武郎の文学碑が立てられています。
*奇岩:変わったかたちの岩のこと
岩内港にしずむ夕日は、木田金次郎も絵にかいています。金次郎さんも見ていた同じ景色に感動!
岩内のまちや港が見わたせる、景色のいい場所にある美術館です。森にかこまれていて、となりには温泉のわくホテルもあります。美術館では、世界的に有名な芸術家・ピカソの版画の作品を見ることができます。じつは、日本でいちばん多い、約260点のピカソの版画がここに集められています。美術館の名前の「荒井」は、この美術館を建てた、荒井利三さんの名前からつけられました。
スペインで生まれ、フランスで活やくした芸術家です。油絵だけでなく彫刻、版画など、いろいろなジャンルの作品を発表しました。とくに版画の作品は、生がいでたくさん作っています。好奇心がとても強かったピカソは、ひとつの同じことをするのではなく、なにかちがう表現をしようといつも考えていました。絵をかきながら彫刻も作るなど、同時にちがう作品を作っていたそうです。また、1つのものをいろいろな方向からながめて、全部の方向から見えたかたちを1まいの画面にえがく、「キュビズム」という表現方法を仲間といっしょに作り出し、美術界に衝撃をあたえました。
ピカソの名前を、みなさんは一度でも聞いたことがあると思います。とくに、人の顔のいろいろな部分が組み合わされた絵を見たことがあるでしょう。なんだか現実にはいない人間をかいたように思えますが、ピカソの絵のほとんどにはモデルがいます。
たとえば、自分のおくさんです。「女の顔」という版画の作品は、前や横から見たおくさんの顔を1枚にかいています。よく見ると、ここは横を向いたところだな、というのがわかりますよ。この少し前に作られた作品「花模様のブラウスの女」は、全然ちがう人をかいたように見えますが、じつは、同じおくさんをかいています。このように、ピカソは表現をどんどん変えていきました。まだまだほかの作品もあるので、この絵のモデルはなにかな?と考えながら見てみてください。
「女の顔」と「花模様のブラウスの女」は、美術館で見られます。