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Hokkaido Digital Museum

北海道の歴史と文化と自然

伝統の暮らしのすがたー衣・食・住

アイヌ民族の文化は、歴史とともに移り変わってきました。ここでは、今から100〜200年前の伝統的な衣・食・住について紹介します。
現在の衣・食・住など毎日の暮らしは、日本に住む大多数の人びとと、ほとんど変わりません。一方、近年さまざまな分野でアイヌの伝統文化の見直しや復興が進むなか、伝統文化を積極的に学び、伝えようとする人々がいます。
たとえば、儀式のときや、あらたまった場などで伝統の晴れ着を着たり、そのための衣服を作ったりする人などが増えてきました。食生活では、昔からの素材を新しい方法で調理したり、調味料などで味付けを工夫したりする家庭もあります。また、集会や儀式を行う建物に、儀式の設備として炉などを備えることなども行われています。

アイヌの衣服のあらまし

アイヌの衣服には、素材や文様の付け方などによってさまざまな種類があり、地域ごとにも特徴があります。性別、年齢などによって着てよいとされる衣服の区別や、労働など日常の暮らしで着るもの(日常着)と、儀式など公の場で着るもの(晴れ着)との区別もあります。

動物の皮を素材にしたもの

けものの皮を使ったもの(獣皮衣)

クマ、シカ、キツネなどの陸上動物や、アザラシ、ラッコ、オットセイなどの海獣の皮を使ったものです。

獣皮衣(平取町立二風谷アイヌ文化博物館所蔵)

魚の皮を使ったもの(魚皮衣

サケ、マスなどの魚の皮をはぎ合わせて作るものです。他の衣服と比べ袖が細めで、裾が広がった、洋服のワンピースのような形をしています。

魚皮衣(萱野茂二風谷アイヌ資料館所蔵)

植物の繊維を素材にしたもの

樹皮を使ったもの(樹皮衣)

オヒョウ、シナノキなどの内皮から繊維をとって反物に織ったものを素材にします。アットゥと呼ばれます。素材の中ではオヒョウが柔らかくてよいとされます。

樹皮衣(サハリン)(一般財団法人アイヌ民族博物館所蔵)

草を使ったもの(草皮衣)

イラクサなどの内皮の繊維で織った反物を素材にしたものです。オヒョウなどの場合と比べると、糸が細く色が白めです。

草皮衣(北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園)

木綿を素材にしたもの(木綿衣)

交易などで手に入れた木綿の古着、古裂(ふるぎれ)、反物などを材料にしたものです。各地に見られ、アイヌ語の呼び名もさまざまです。

木綿衣(一般財団法人アイヌ民族博物館所蔵)

外来のもの

衣服そのものが他の地域から入ってきて、それをほぼそのまま着ているものには、次のものがあります。いずれも貴重な衣服として扱われ、正装のときにアットゥなどの上に着ました。

中国東北部から入ったもの

日本語で山丹服とか蝦夷錦(えぞにしき)と呼ばれるものです。中国の清の役人の服が、現在の中国東北部、沿海州地方からサハリンとの交易を通じて北海道に入ってきたものです。

山丹服(一般財団法人アイヌ民族博物館所蔵)

本州方面から入ったもの

打ち掛け、小袖、能衣装など:絹に刺しゅうを施した華やかなもので、そのまま着たり、裏をはがして表だけを着たりしました。
陣羽織:武将が使っていた陣羽織です。主(あるじ)だった男性が着ました。

陣羽織

その他

下着・日常着

昔の日常着は、文様などがあまり見られないことが晴れ着との違いです。獣皮、樹皮、草皮、木綿などで作りました。
女性はかつて家の中では、多くの地域でモウと呼ばれている服を着ていました。そして来客があったり、外に出たりするときに、その上からこれまで紹介してきたような服を着たといいます。
男性の昔の下着については、樹皮や木綿で作った下帯をしていたことなどがわかっています。

木綿のモウ(一般財団法人アイヌ民族博物館所蔵)

文様を施す

衣服などに施した独特の文様は、布を切って衣服につけたり、刺しゅうをしたりして作ります。こうして作られる文様にも、地域ごとに特徴があります。
刺しゅうの文様には魔除けの意味があると言われますが、実際のところは地域や人によってさまざまです。昔のことをよく知っているお年寄りの話でも、文様の刺(とげ)の部分に 魔除けの意味があるという人もいますし、文様には特にそのような意味はないという人もいます。

アイヌの食べもの

食べものは、住んでいる地域によって多少の違いがみられます。例えば、海沿いに住む人々は海のものを、内陸に住む人々は山のものをより多く利用してきました。アイヌの人々がどのようにして、どのような食料を得たのかということについてみていきましょう。

1 狩猟

狩猟の対象となったのは、大型動物ではエゾシカ、ヒグマなど、中・小型動物ではエゾタヌキやエゾリス、ウサギなどでした。これらの肉は主に汁ものにしたり、焼いて食べました。乾燥させ貯蔵しておいた肉は、一度煮返してから汁ものにします。鳥類ではエゾライチョウ、カケス、スズメ、カモ類などを食材とし、汁ものにしたり、焼いて食べました。

2 漁撈(ぎょろう)

川や湖では、サケ、マス、アメマス(イワナ)、オショロコマ、イトウ、サクラマス(ヤマベ)、キュウリウオ、ワカサギ、シシャモ、ウグイ(アカハラ)、フナ、ドジョウ、チョウザメ、カワエビなどの漁を行いました。魚類は山菜などと一緒に煮て汁ものにしたり、串に刺して焼いて食べたりしました。
サケは「ルイベ」として食べることもありました。サケのたまごは、粥や汁ものに入れて食べたり、乾燥させて貯蔵しました。

ルイベ

現在では、「凍ったサケの刺身」として有名な料理になっています。ルイベという言葉のなりたちは、「ル=とける」、「イペ=食べ物」です。 寒い時期にとれるサケなどをまるごと軒下からぶらさげるなどして凍らせたものを食べたといいます。


海での漁の様子(『蝦夷島奇観』/北海道大学附属図書館北方資料室)

北海道の海沿いの地域や樺太では、海猟が盛んでした。タラ、カレイ、イワシ、ニシンやメカジキ、マンボウ、クジラ、アザラシ、オットセイなどが主な獲物でした。肉、油脂や内臓などを食料とするほかに、海獣の皮も衣服などに利用しました。

3 採取

山菜は春から秋にかけて採取しました。利用する部分は植物によって、芽、茎、葉、根茎、果実などさまざまです。
春から夏にかけては、ギョウジャニンニク、ニリンソウ、ノビル、タチギボウシ、オオハナウド、ヒメザゼンソウ、フキノトウ、クサソテツ(コゴミ)、ワラビ、ゼンマイ、ヨモギ、フキ、アマニュウなどの葉や茎を採取しました。根茎や鱗茎を利用するのは、ツリガネニンジン、ツルニンジン、カタクリ、ユキザサ、クロユリやオオウバユリなどです。

夏から秋にかけては、ハマナスの実、サルナシの実、クワの実、クルミ、クリ、キハダの実、ドングリ(ミズナラ、カシワ)、クロミノウグイスカグラ(ハスカップ)、ヤマブドウ、ノイチゴなどの果実、ヤブマメの地下の実、ガガイモやコウライテンナンショウなどの根茎を採取しました。

カタクリ
ミズナラ
ドングリ(ミズナラ)

ラタ

ラタという名前の料理は、アイヌの料理としてよく紹介されます。山菜類、野菜類、豆類などから作る料理で、数種類の材料を混ぜ合わせて煮る場合もあります。ほとんどは油脂や塩で味付けをします。

ラタ(写真提供:新ひだか町アイヌ民俗資料館)

4 農耕

ヒエとアワにはアイヌ語の名称があることや遺跡の発掘調査などから、かなり古い時代から栽培されていたことがわかっています。また、日本の江戸時代中期から後期の記録では、ジャガイモをはじめとして、キビ、麦、ソバやトウモロコシなどの穀類と、大豆、小豆、ササゲなどの豆類、栽培野菜としてアタネと呼ばれる蕪、大根などが作られていたことが記録されています。
穀類は主に粥にしましたが、祭事や儀式の際には飯に炊いたり、あるいは団子や酒の原料としても用いられました。

日常の食事

日常の食事は、基本的に汁ものと粥でした。
汁ものは、山菜汁、肉汁、魚汁、海草汁などがあります。通常、具がたくさん入っており、塩や油脂で味付けをします。
粥はヒエ、イナキビ、アワ、米やトウモロコシなどの穀物に水をたっぷり入れて作ります。乾燥させたギョウジャニンニクやオオウバユリのデンプン、干したイクラ、 ジャガイモ、豆、カボチャなどを入れることもあります。

日常の食事の一例(写真提供:新ひだか町アイヌ民俗資料館)

祭事や儀式の食べ物

祭事、熊送りの儀式や春秋の神への祈りの儀式、あるいは新築祝いなど儀礼の際には、飯、ラタ、団子や酒などが作られました。

儀式のごちそう(写真提供:新ひだか町アイヌ民俗資料館)

加工と保存

狩猟、漁撈(ぎょろう)、採取、農耕等によって得た食料は、すぐに消費されるだけでなく、長い冬に備えて、または飢饉の際の常備食として貯蔵されました。特に春から夏にかけては山菜、秋には山菜、栽培作物と魚を加工・保存しました。

ウグイの焼き干し
オオウバユリの団子

住まいのあらまし

復元されたカヤ葺きの家屋(一般財団法人アイヌ民族博物館)

地域により、あるいはそれぞれの家により、さまざまな違いがあります。よく見られた家は、大きな長方形の一室で中央部に炉があるものです。多くの場合、部屋の出入口の外側に玄関や物置などを兼ねた小屋をつけます。柱・屋根・壁・床の材料には、木の幹や枝、樹皮、カヤなどの草、などを用いました。その種類はさまざまですが、とくに壁や屋根を葺ふくために大量に必要なものは、その地域で手に入りやすいものが使われます。

復元されたササ葺きの家屋(旭川市博物館分館)

アイヌ語では、「家屋」のことを「チセ」といいます。発音するときは「チ」のほうではなく、「セ」のほうを高く発音します。この「チセ」ということばは、これまでしばしば、とくに日本語の文章に取り入れられた場合に、かつてのカヤやササなどで葺ふいた家屋だけを指して使われることがありました。
しかしアイヌ語として考えた場合には、現代の新しい工法による家も、やはり「チセ」と表現することになります。じっさい、お年寄りにアイヌ語で会話をしていただいた中に、現代の家屋を指して「チセ」ということばが用いられている例があります。材料や工法が変わっても、アイヌ語にとって「チセ」つまり「家屋」に変わりはないのです。

間取りと内装

模様のついたござを張った室内の様子(一般財団法人アイヌ民族博物館)

部屋には、神々が出入りするとされる窓が設けられました。広く知られているのは、この窓を尊いとされる方向へ向けるつくり方です。この窓と、中央部の炉とのあいだの空間は、上座(かみざ)として尊ばれます。客がここに案内されることもあります。
床にはふつう、草などを敷きつめてすだれを載のせ、その上にござなどを敷きます。壁ぎわに床から少し高い台を設け、寝床をつくることもありました。
炉のつくり方はさまざまです。たとえば、地面を掘り、木の葉・砂利・火山灰の順に敷き入れる、という方法があります。
内側の壁には、ござを張って仕上げるなどします。窓や入り口には、すだれやござなどを下げたりします。

主屋の周辺

家の周りの様子(帯広市:大正時代の終わりごろ/一般財団法人アイヌ民族博物館)

主屋の周りには、祭壇や熊檻(おり)、倉などを設けることがあります。祭壇は、神々が出入りするとされる窓の外側正面に設けます。
家から少し離れたところに、ごみ捨て場を設けました。糠や炉の灰などはごみと別にすることもありました。そのほか主屋の周りには、魚や肉などを干すための棚や竿、洗濯物を干すための竿などを設けることもありました。風や雪をよけるために、カヤなどで垣を設けるところもありました。

伝統的な衣・食・住などについて学ぶことができる施設・機関

■北海道内

旭川市博物館


旭川市博物館分館 アイヌ文化の森 伝承のコタン


川村カ子(ね)トアイヌ記念館


平取町立二風谷アイヌ文化博物館


萱野茂二風谷アイヌ資料館


ユーカラの里(のぼりべつクマ牧場内:5~10月)


国立アイヌ民族博物館


北海道博物館


※さらに詳しい内容は、「北海道博物館」に掲載している「アイヌ文化紹介冊子 ポン カンピソ」でご覧いただけます。

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